問題提起, 戯言

どぅーきー動機にはどきどきしねぇ

最近、我ながら、自分のblogが、つまんない気がしてる。
 
まぁ、今、ポンコツ自己嫌悪でネガティヴ気味なタイミングではあるので、文体に覇気がないのもそうだけど、
基本的に、3月前半をずっと通常バー営業にしてて、ノーゲスも二日程あって、不調なんで特筆すべきネタがないってのも一因としてある。
 
あとは、生活リズムもポンコツになってもうてるんで、基本的に前日のことを振り返って書くと、書いてる時点との時系列がガチャガチャで、このblogを更新することすら面倒な作業と化しつつあるのも、よろしくはない。
 
 
元々半年前にこのblogを再開して、不定期更新から毎日更新にしたのは、アソビカイギを作るまでの過程を日々記すって意図だったからね。
 
今や、基本的には毎日アソビカイギを開けて、特に、通常バー営業を繰り返してるここ数週間に関しては、真新しい出来事が起きることも少なく、ただただ無理矢理アソビカイギからネタ探す日記みたいなことになってしまってる。
 
 
blog更新が習慣化していることに関しては、何にせよ継続することが苦手な僕にしては、良いコトだけども、
「あぁ、今日の分のblog更新しなきゃ。昨日は何かあったっけな。」と、億劫になりつつあるのは、よろしくない。
 
 
というわけで、今日からは、時系列にこだわることなく、その時に書きたいことを書きたい時系列で書こうかと。
 
まぁ、アソビカイギに関しては、毎日いるんで、どうしても話題にする頻度は高くなるだろうけど。
 
 
ざっくり言うと、より自由に書くって宣言す。
 
 
 
今でも充分に自由に書いてるだろ、と思われるかもしれんが。
 
 
 
それか、もう本当に随筆っぽいのとか、小説と呼べるほどのものではないにしても妄想作り話みたいなのを、blogと別に始めるかやな。
 
noteとかでやるかな。
 
 
すんげぇ初期からこのblogを読んでくれてる稀有な人ならわかるかもしれんが、ずっと小説を書いてみたい欲はあるんやけど、まぁちゃんとは取り掛かれんので、短い思い付きの作り話から始めてみようかしら。
 
 
 
表現すること全般において、僕は、“誰かを喜ばす目的で作品を作ること”があんま好きじゃない。
 
 
ゲスの極み乙女の川谷絵音氏が落合陽一氏と、アートだか音楽だかをテーマにトークしてる動画で観たけど、
 
僕なりのざっくりの受け取り方としては、
 
『アーティストは人のことなんか考えずに自分が好きなものだけ作って、それを好きな人にだけ聴いてもらえたらいい。売りたいとか誰かに聴いてもらうために作るのはアーティストじゃなくてビジネスマン』
的なことを語ってたと思うのね。
 
ゲスの音楽は特に興味ないけど、川谷氏のアーティスト観については、とても好き。
 
 
すごく僕の主観全開だけど、受け手のことを考えて作られてるアート作品って、大体ダサいし、くそつまらんのよ。
悪いとかじゃなくて、あくまで僕の好みね。ただ僕が好きじゃないってだけで。
 
そこに需要があるから作るって動機が個人的に好きじゃないのよ。
 
ちなみに、作った作品を届ける広報努力は、また別の話ね。ここでしてるのは、作品を作る動機についての話ね。
 
 
 
で、例えば文章の話だと、めっちゃ読まれてるblog記事とかって、読みやすいしわかりやすいし必要な情報が手に入るけど、くそつまらんと思うことが多々あって。
 
有益ではあるけど、面白いとは思えない、みたいな。
 
 
なので僕は、自分の書きたいように書いて、まぁそれを物好きな誰かが読んでくれるのならばありがたいなぁってスタンスで、
めっちゃ沢山の人の目につくような記事の書き方とかサイトの作りにはしてないし、読みやすく情報が取りやすいような記事の書き方もしてないのね。
 
 
あら、何の話しようとしたんやったっけ。
 
 
あ、そうそう、なので、そんなん書いて何になるん?みたいな文章も書いてこうかなーって話か。
 
いや、ちょっと違うな。
 
 
つまり、表現すること全般において、その動機としては、“ただ、やりたいからやる。作りたいから作る”って動機でやる方が好きって話か。
 
 
最初、何を書くつもりやったか忘れたけど、まぁこういう着地したんで、これはこれで、いいでしょう。
 
 
雷雨ですね。
雨宿りがてら、誰か僕を鼓舞しに来てくれやしないか。
 
 
 
 
 
 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です