戯言, 技術

ニセモノの上に空っぽ人間

渋谷健氏のファシリテーションブートキャンプに参加してきました。
 
2日間、朝から晩まで、ファシリテーションの基礎の基礎を叩き込まれるブートキャンプ。
 
ファシリテーションとは、一般的な定義(by wikipedia先生)によると、
 
“ファシリテーション(英: Facilitation)は、会議、ミーティング等の場で、発言や参加を促したり、話の流れを整理したり、参加者の認識の一致を確認したりする行為で介入し、合意形成や相互理解をサポートすることにより、組織や参加者の活性化、協働を促進させるリーダーの持つ能力の1つ。 コミュニケーションスキル以外にも、ルールが必要な場合の内容設定や補助、プログラムのデザイン、進め方や、さらに会議の場所や参加者の選択、日程のデザインなど、オーガナイザーやリーダーの機能を担う。 会議の場に限定される機能とするのは誤りであり、日常での組織コミュニケーション全般において、ファシリテーション技術は活用される。 また、課題を達成しようとするグループに対して公平な立場にたち、話し合いのグループ・プロセス(グループの状況)に介入してファシリテーションを行う者のことを、近年、ファシリテーター(Facilitator)と呼ぶ場合が出てきた。
ファシリテーターにはファシリテーション技術以前に、参加者または組織に対して良心に基づいた、達成イメージへの情熱と信念が必要とされる。”
 
 
 
詳しくは書かない。てか僕じゃまだ書けないので、僕の言葉でざっくり、この二日間のことを。
 
 
 
このブートキャンプでは、これから様々な問題を解決してゆくために、
現状それらを解決できてない足枷・原因は、自分の根源にあるということを受け入れて手放す、という作業をやる。
 
“お前が○○な人間だから問題が解決しないんだ!”と、突きつけられる。
 
この○○の部分は、問題によって、人によって、違うけど、自分にとって、まじで認めたくない言葉が入る。しかし、自分の周りの問題を解決してゆくにあたって、この○○を認識しないことには何も始まらない。
 
事前にブートキャンプ経験者から、辛すぎて泣く人もいる、と聞かされてたけど、とりあえず僕も、
 
 
いったん死んだ。
 
 
死んで、生き返って、ブートキャンプ終わるころには視界がクリアになって、
そしたら、同時に、見て見ぬふりしてた問題もクリアになってしまって、見失いかけた。
 
 
そんで、なんとなく、雪がガンガン降ってる中、雪まみれになりながら、時間をかけて、歩いて家まで帰った。
 
 
 
つっても、やるしかないな、と。
解決するしかないな、と。
 
 
途中で嫁にメールして、「帰ったら永田家の人生ミーティングお付き合いおなしゃす」と。
 
永田家の幸福のために、覚えたての拙いファシリテーションをやってみた。
僕ら夫婦の足枷になってる根源は、二人とも、そもそも結構似ている。それを二人とも痛い痛いって言いながら、抉り出す。
 
 
当然ズバッと解決なんてしないわけで、暗礁に乗り上げたまま、もやもやしながら眠って、そして今朝、目が覚めたら、夫婦とも少しクリアになっていた。
同じ結論が出ていた。
 
 
 
ちなみに、僕の根源は、
『ニセモノの上に、空っぽ』の人間。
 
 
 
なかなかの悪口でしょ。
 
こんなん、前振りなしに誰かに言われたらぶん殴るよね。
 
 
でも、僕は腑に落ちてる。
 
 
今は、受け入れてる。手放す。てか、手放してゆく。
 
 
そりゃ、ニセモノで空っぽなんだから、何が正解か、どっちに進めば、問題解決するのか、判断できるような経験も知識も、ない。
 
 
なので、やるべきだと感じることを、やってゆくしかない。
 
やってみて、
「うわー、こっちじゃなかったー」とか「あいたー、失敗してもうたー」とか言いながら、やってゆくしかない。繰り返してゆくしかない。
 
時には道すがら出会った人々に、「こっちで合ってると思います?」とか「どっち行ったらいいんすかね?」とか尋ねたりしながら、「おー、なるほど」とか「いや、違うんかーい」とか言いながら、やってゆくしかない。
 
 
 
 
やる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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