戯言, 読書

読書5冊目

羽田圭介『スクラップ・アンド・ビルド』を読みました。
 
これも少し前の芥川賞受賞作。
ピース又吉氏の『火花』とダブル受賞した作品。
 
『火花』より先に『スクラップ・アンド・ビルド』読もうとするあたり、僕のアレな感じが醸し出されとるけども。
 
 
 
で、今回は、『本音と建前』に焦点当てて語ってみようかと。
 
 
事前に見聞きしていた書評によると、随所で、「主人公健斗の思考と行動に可笑しみを感じる」といった記述があったが、正直、僕としては全く可笑しく感じることがなかった。
 
というのも、たぶん、健斗の論理的思考に基づく行動や、行動に論理を後付けする癖が、少なからず僕にも思い当たる節があるからだと思う。
 
 
 
ざっくりストーリーとしては、
主人公健斗が、死を望む在宅介護の祖父に対し、過剰な介護で機能を衰えさせることによって望みを叶えようと奮闘する話。
 
 
 
で、まぁ、健斗が何かと論理的に祖父を死なす為に甲斐甲斐しく介護したり、
かと思えば祖父の容態が悪いと反射的に助けて、その行動に論理を後付けして正当化したり、と、
たぶんそのあたりも可笑しみと捉えてる人が多いんだろうけど、
僕も結構そういうタイプだから、ただのあるあるな気がして別に可笑しく感じなかったのよね。
 
 
あと、結果として健斗と同じ行動をしてるけど、動機が浅い姉に腹を立てたりするとことか、すごくわかる。
 
 
 
例えば、
僕は自分のバンドのライブで、お客さんに手を上げるよう煽るけども、
一方で、いけてないバンドが“安易に”煽るのは、すごく嫌い。
 
僕としては、手上げたくない人は上げなくていいんだけど、
ただ、ほんとは上げたいけど恥ずかしがってる人がいるならば、僕らがふざけて楽しい雰囲気作って、手を上げて楽しんでくれたならその方がいいと考えてる。
 
ところが、よくTwitterでも話題になるけど、自分らが力不足なだけなのに、盛り上がってない客席に向かって「お前らそんなもんかー!」的なノリで無理矢理上げさそうとするのは、いやお前らのライブこそそんなもんかーって思う。嫌い。
 
ただ、結果論として、客席を煽るって行動は同じなわけで。なんか、そこは腹立たしいよね。みたいな例。
 
 
 
昔、グータン?グータンヌーボ?みたいなテレビ番組で、最後にゲストに
『あなたは羊の皮をかぶった狼?それとも狼の皮をかぶった羊?』みたいな質問をしてて。
 
今だに、どちらが自分に相応しいか選べないでいる。
 
 
僕は、人当たりも良い方だと自負してるし、しかし、その実、時々このblogで吐くような毒も慢性的に抱えてて、
一方で、わりと毒を前面に押し出して振る舞ってたりするけど、すごく臆病で人に優しくしたがっていたりもして。
 
 
論理的思考に基づいて行動することと、行動に論理を後付けすることと、どちらも言い方によっちゃ、本当の自分みたいな領域で。
 
 
 
本音と建前の境目は曖昧だったりして、加えてややこしくするならば、
その行動の対象となる人だってそうだったりするわけで、
僕の外側と内側は勿論のこと、他人の外側と内側もドロドロに融解して混じり合って、最終的には、
 
所謂 自分の存在はどこにあるのか、
自分の内側?外側?相手の外側?内側?
 
どの位置から自分を見つめるのが的確なのか?
 
 
とか、もう色んなこと見失っちゃって。
 
 
いや、てか、そんなことより今日のblogをどうやって締めるかを見失ってることの方が問題で。
 
 
 
 
僕は、羊と狼の皮で作られたリバーシブルなマントを羽織った、ゲル状の生き物です。

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