最近は、夫婦揃って、それぞれの面白い生き方を模索してる。
その一環で、嫁は月に数回、このblogでも何度か触れた子供向けプログラミング教室ITeens Lab.に研修に行ってる。
今日も嫁が研修だったので、僕は、昼から夜まで息子と家で過ごした。
息子は3歳になったので、まだ片言ながらも自分の意思をある程度は言葉で伝えれるようになった。
今日、息子が探り探りPS4を操作してAmazon primeで動画を観てる間、僕はソファーで寝落ちた。
とはいえ、息子は必要があれば、
やれ牛乳をくれだの、おしっこに連れてけだの、自分だけで出来ないことがある時は僕を起こしにくる。そこはむにゃむにゃがんばって対応した。
ここまで読んでくれた方の何人かが思ったであろうことと同様に、僕自身も、息子を放ったらかして寝てしまったことを申し訳なく思っている。
が、
僕の育児論、あるいは教育論として、
そのことを息子にちゃんと謝ったらそれでいいとも思っている。
そして、できる時には、できるだけのことをしてあげたらいいかと思っている。
何が言いたいかというと、
親だから、大人だから、なんでも完璧にこなせるわけじゃないってのを認めるのも大事なんじゃないかと。
お父さんだってお母さんだって、体調悪かったり疲れてたり忙しかったりする。人間だもの。まだまだ未熟な人間だもの。当たり前。
育児を雑にやれってことじゃない。
がんばれることは勿論がんばる。当たり前。
でも、完璧なんて無理さ。大人になったから親になったからって、完璧な人間になれるわけじゃないもの。
だから、きつい時に放ったらかしてしまったり、
温厚な説教じゃなく、つい、感情的に叱ってしまったり、
そこは未完成な人間、未完成な親として、しょうがないんだから、
やってしまったら、その時は反省して子供に謝ればいいじゃないって思ってる。
ということで、今日も息子に、「とと(お父さんの意)寝てしまってごめんね」と、ちゃんと謝りました。
「いいよ」と許してくれました。
とはいえ、これが0〜1歳くらいだと、24時間、目が離せない。
親の体力消耗もストレスも相当なもんだ。
誤解を恐れずに言えば、追い詰められて虐待してしまう親の気持ちも、わからないではない。
なので、うちの夫婦は、早い段階で、
『人間だし、初めての親としての経験なんだし、うまくいかないこと、イラっとすること、あって当然』と、まずお互い認めることにした。
そんで、どっちかがイライラしてたり、疲れてうんざりしてたりする時に、それを正直に認めて、その時はもう一方がカバーすることにした。
わからないことだらけ、うまくいかないことだらけ、24時間体制での体力消耗。
いつもいつも笑顔で心身コンディション万全で、育児記事に推奨されるような理想的で素晴らしい対応できるわけがない。
当たり前。
これ、育児に限らず教育でも同じだと思う。
教員って、
教育者たる者は、常に品行方正な大人としての手本でなければならない、と思い込んでる人が多い。
いや、無理だから。
教員である前に人間なんだから、間違う時は間違う。ミスる時はミスる。当たり前。
そん時は、生徒に謝ればいいじゃない。
なんなら、「先生こういう風にミスった。すまん。みんなも先生みたいなミスしないよう気をつけてな。」って教えたらいいじゃない。
大人でも、親でも、教員でも、エリートでも、
できんことは、できん。
失敗する時は、失敗する。
子供の前では完璧であらねば、って追い詰められてパンクするより、素直に、人間だから無理なことは無理と認めたらいい。
子供だって、大人になったら何でも完璧にがんばらねばなんのだって思ったら、追い詰められるだろうし。
がんばるべきことをがんばるのは勿論だけど、常に100%がんばってノーミスで生きるなんて無理、という当たり前。
ならば、ミスった時にちゃんと謝ることとか、カバーしてくれたことに感謝することを、しっかり教えた方がいいんじゃないかしら。