Googleさんに怒られました。
特定の端末から何度も広告をクリックした形跡があると。
ダメ!って。
この記事を読んで、健気にクリックしてくださった方がいらっしゃったのでしょう。
ありがたいことですが、ダメって。
というわけで、しばらく広告出ませんが、また出ても、定期的にクリックされた形跡がまた確認されるとダメなので、
フリじゃなく、興味ある広告しかクリックせぬようお願いします。
てかまぁ、広告無くてもいいけどなー。
まぁいいや。考えとこう。
さて、今日は、佐世保DazzlePuzzleにてライブして、今は帰りの車内。
楽しゅうござった。
まぁ楽しい理由なんてのは説明不要だ。
楽しいものは、楽しい。
タイムリーに、つい最近、10代の社会人1年目の子が、社会楽しくない、と言うので、楽しくしようぜって励ましているところで。
かく言う僕も、社会が楽しいとは感じれていないから、このblog然り、楽しく変えようとしているところで。
よほど、黙々と一つのことを続けるのが好きな人間でなければ、大半にとって、社会なんて楽しいものではない。
多くが、例えば、僕のように、
今日みたいな楽しい日を糧に、楽しくない社会で過ごす時間をやり過ごしているのだろう。
月並みだけど、楽しい時間が多いに越したことはない。
そんで僕は今、そういった時間を増やすべく、そういった時間で人生を埋めるべく、模索している。
今更、真面目に。
僕は、人は呆気なく死ぬ一方で、意外と人は死なない、という両方の経験を有している。
前者、僕の母は、僕が26歳の時に、前触れなく、死んだ。
元から死に近い病があったわけでなく、突然、死んだ。
後者、僕は、なまじ一生懸命バンドなんかやってたもので、大学を五年かけて卒業し、就職活動など一度もせず、職を転々とし、三度のニートを経て、その間に、幾度もド底辺の貧しい暮らしも経験したものの、
意外と死なずに、何とか、生き延びている。
どちらも事実。
都合よく解釈したい。
人は突然前触れなく呆気なく死ぬものだから、出来る限り、楽しいことをした方がいい。つまらんことに時間を割いてる暇など無い。
そして、案外、後先考えなくても人は死なないもんだから、楽しいことばかり、やってみたらいい。
頭ではわかっている。
しかし、実践して生きるのは勇気がいることだ。
まして、僕は、人一倍、臆病だ。
このblogは、僕にとっては、ビビりながらも、勇気を出した、その一歩。
アテはないけど、しばらく歩きまわってみよう。