たまに見る、もしくは聞くけど、
『小難しい語彙で、説明しようとする奴は頭悪い』
みたいな説。
『頭良い人は、簡単な語彙でわかりやすく説明できる人』
みたいな説。
あれ、個人的には、全く賛同できない。
阿呆の方々に難しい話をわかりやすく説明する大会
とかなら、別だけど。
一般的にあまり知られていなくても包括的な言葉ってのは、その言葉を知っている人どうしでは、非常に便利なのよね。効率的だし。
すごく単純化した例え話すると、
サッカーわかる人がわからん人に、○○選手の「ボールを足で止める技術」がすごいって言うところを、
わかる人どうしなら、○○選手の「トラップ」がすごいって言えば済むやん?
そゆこと。
だから、僕も、例えばビットコインについて知らない人向けの記事では、極力簡単な語彙で説明しようとしたし、
自分の自己満足アウトプット用の記事では、的確に述べることに重きを置いて、使いやすい語彙を用いてる。
んで、この御時世なんだからさ、
興味ある話を聞いてて、わからん言葉とかあれば、わかる人に聞くかググるかすればいいやんね。
僕は、自分がわからん、知らんことは、極力その場で聞くなり調べるなりして、知識に変えようと心掛けてる。
冒頭の、『頭いい人は簡単な語彙でわかりやすく説明してくれる説』を語りがちな人って、
そういう、自分でできることはやってみよう精神が欠けてて、情報を得ることに受動的な人が多い気がする。
あ、じゃあ、全然そんなこと書くつもりじゃなかったけど、流れ的に、アクティブラーニングの話しようかな。
近年、特に公教育の現場では、講義形式で一方的に知識を詰め込む授業形態を脱却しようぜって動きが盛んなのね。
つまり、生徒が自ら、考える、話す、っていう参加型の授業形態、すなわちアクティブラーニング。
発想としては、とても良いと思っている。
が、やる側の教員が実践できてるのか?という問題。
特に、経験則のみでイキッてる古い教員ね。
僕が現場を見てる実感では、
アクティブラーニングが手段ではなく目的になってる残念な例が多々見受けられる。
アクティブラーニングって、あくまで生徒の理解を深める為の手段、方法論であって、アクティブラーニングに該当する形式の授業を行うことが目的ではない。
そこを、履き違えているのか、もしくは、わかってはいるけど面倒だから、建前だけやってる体にしたいのか。
アクティブラーニングの形骸化。
まだ比較的、導入部なのに、もう形骸化。もったいない。
何事もそうだけど、長く続いてきたものって、
それを長く維持する為の努力もされてきたはずだから、大きく転換するのも難しい。
しかし、世界の速度は凄まじい。
常に、最先端でありたいものですな。
>頭の良さと説明の分かりやすさ
一つ言えるのは、「分かりやすい言葉で説明できないやつは頭悪い」って言ってるやつは頭悪いでしょうね。笑
>アクティブラーニング
あんまり理解してないけど、昔でいう総合学習みたいな授業なんでしょうか。(て言って伝わる?)
「分からないことはまず調べて、考えて、それでも分からなければ質問する」
という流れを実践できるなら意味はあるんでしょうけど…
そう、言っちゃえばそれ。笑
アクティブラーニングは、生徒が能動的に参加する形式の学習法全般を指すから、
総合学習も勿論その方法の一つやね。あとは、グループ討論とか生徒自身に講義をさせたりとか。
いずれにせよ、仰る通り、教員が生徒の能動的な学びの補佐的ポジションを的確にやれたらいいんだろうけど…。