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僕は、世界のどこに立っているのか

SXSWってご存知?
 
正確にはSouth by SouthWestっていう、アメリカのオースティンで毎年やってる世界最大級のコンペフェスのことね。
 
 
まぁ興味ある人はググってくれたらいいんだけど、なんつーか、音楽・映画・インタラクティブの世界規模の見本市フェス的な。
 
しかし今だに日本での知名度は低いみたいね。
 
 
近年ではインタラクティブ部門が盛況みたいで、IT技術のパリコレとか言われてる。
 
どんくらい世界に影響力あるのか、すげぇわかりやすい例だけど、Twitterって、ここで賞取ってから世界的に普及したらしいよ。
 
 
 
そんなわけで近年では特にIT技術分野で世界が要チェックしてるSXSWだけども、
実は、元々は音楽コンペフェスとしてスタートしてるんですって。
 
無名のインディーズアーティストを売り出すために、音楽関係者を集めて見本市フェス みたいな小規模なとこからスタートしたのだと。それが、段々でかくなって、映画部門も追加されて、インタラクティブ部門も追加されて…今に至る。
 
 
IT部門での注目度が増してるとはいえ、勿論、今でも世界的に見れば、音楽コンペフェスとしての規模は最大級で、
わかりやすく有名な例で言うとノラ・ジョーンズはSXSWきっかけでブレイクしたのだとか。
 
日本のバンドも結構参加してて、今でもその門戸は有名無名問わず開いてるわけだが、
 
たしか今じゃ毎年万単位くらいのエントリーがあって、その中から1000とか2000くらいが出演できるんだったかな。いずれにせよ、どんだけデカイ規模かは伝わるかと。
 
 
ちなみに、Stew Heddも3〜4回エントリーしたけど、落ちたけどね。
 
 
無名バンドの見本市としてスタートした精神は、今尚、生きているようで、金は少しかかるけど、世界中誰でもエントリーできるよ。エントリー時期にもよるけど30〜45ドルくらいかな。
 
ただし、良くも悪くも、予選的なものはなく、本部で全て審査されるんで、SXSWのオフィシャルから英語でエントリーせなけどね。
 
まぁ日本国内でもそこに連れてくぜ的なオーディションもあるようだけど。自力で参戦する気なら、直でエントリーしかない。
 
 
 
 
てか、ここまで書いて我に返ったけど、この記事書き始めた時は、そのエントリー云々に絡めて、英語についての話するつもりやったんや。もうだいぶ長くなったな。まぁいいや。
 
 
この記事の時に、さらっと、英語をスキルと捉えるか、コミュニケーションのツールと捉えるかって前提がある旨を書いて、この時は後者の前提で、英語話せるようになるの簡単だぜ!って話をしたんだけど、
今回は、前者。
 
 
まぁ前述したエントリーの作業くらいなら、さほど難しい英語を読む場面ってないかと思うけど、例えば、審査に通って、諸々アメリカでやるぜってなったら、たぶん色んな手続き的なこととかで、専門性のある話題とかを英語でやり取りしなきゃいけん場面が出てくる。
 
で、そういうレベルの英語のやり取りができるとするなら、その英語力は、もはやビジネススキルとして扱って遜色ないと思うのね。
 
 
で、で、今の日本の英語教育って、完全に内容をマスターしたとしたら、結構それに迫るくらいの英語力が身につくのでは?的な内容を、均等に詰め込んでるように僕には思えるんだけど、
 
 
そこまでの英語力、大抵の日本人にとって、いらんくね?
 
と言いたいわけ。
 
 
 
これは、日本におけるグローバリズムとか、そもそものグローバリズムの是非とか、をどう考えてるかにもよるけど。
 
そして、ここも賛否あるだろうけど、僕は個人的には日本って内需国だと考えてるのよ。実際、日本を観光してる外国人に道を聞かれる以外に英語を話すことなく生涯を終える日本人って結構多そうじゃない?
 
 
まずは、もっと、日本語をしっかり学ぶ方が大切かな、と思うなぁ。
 
 
 
とはいえ勿論、一部は、スキルと呼べるレベルの英語をビジネスで必要としてる層もいる。そんなん当たり前。
 
ただ、圧倒的少数なのではなかろうか、と。
 
なので、一昨日の記事にもかぶってくるけど、公教育で教える英語は、もっと、コミュニケーションツールとしての英語を中心にやればいいと思う。外国人観光客相手に案内ができる程度や、自分が海外観光した時に困らない程度、あるいは、海外のお友達ときゃっきゃ笑える程度に。
 
さらに、理想を語るなら、
そこから掘り下げて、言語学としての英語や、より具体的にグローバルビジネスに携わりたいって興味がある子供には、掘り下げて教えれる体制を作れると、尚良しかと。
 
 
 
自分が、世界のどの位置で、何をしたいか。
 
そこを知ることが大事ね。という話。
 
 
 
 
 

2 Comments

  1. 受験英語がなかったら同じ大学には多分入れなかった…という個人的な事情はさておき、
    英語に限らず、
    ・各教科の入口は全員に用意しといて、それぞれの興味を深掘りできるような教育体系にすべきではないか?
    ・(特にグローバル)コミュニケーションにおいては謙遜とか恥の文化は損なこともあるのを認識すべきではないか?
    ってのは大事な問題でしょうね。

    1. そゆことね。後者に関しては、まさしく恥の文化こそがコミュニケーション能力を妨げてるとこもあるしね。
      かくいう僕も受験英語で生きてきたけどね。

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